11月も終わり、あしたから12月
前から前髪が気になっていて本日やっと切りました。
いつもは自分で切ってしまうのですが、
来週末の仕事は服装に気をつける必要があり、
美容院を予約したわけです。
人にして頂くシャンプーに日頃の疲れが癒され、気分転換になりました。
四方山話は知識の泉
11月も終わり、あしたから12月
前から前髪が気になっていて本日やっと切りました。
いつもは自分で切ってしまうのですが、
来週末の仕事は服装に気をつける必要があり、
美容院を予約したわけです。
人にして頂くシャンプーに日頃の疲れが癒され、気分転換になりました。
京都府宇治市にある平等院です。
世界文化遺産に登録されており、
屋根に金色の鳳凰が飾られている鳳凰堂は国宝となっています。
平等院鳳凰堂のそばには大きな藤棚があり、
鮮やかな花を咲かせます。
5月のゴールデンウイークに行きましたが、
藤の花は上の方から咲いていくため、
そろそろ咲き終わりそうですね。
護王神社は京都御所の西側の烏丸通に沿いに鎮座する神社です。
和気清麻呂公(わけのきよまろこう)をお祀りしています。
正確な創建年代は不詳ですが、護王神社は和気氏の創建による高雄山神護寺境内に作られた、和気清麻呂公をを祀った護王善神社に始まります。
和気清麻呂公は、宇佐八幡宮信託事件で、流刑に処せられながらも皇統を守った功績により、江戸時代末の嘉永4年(1851)、孝明天皇より正一位護王大明神の神階神号を授けられました。
明治19年(1886)、明治天皇の勅命により、華族中院家邸宅跡地であった京都御所蛤御門(はまぐりごもん)前の現在地に社殿を造営し、神護寺境内からご遷座、後に姉君の和気広虫姫も主祭神として合わせ祀られています。
和気清麻呂が宇佐へ配流された際に、道鏡から送り込まれた刺客に襲われましたが、300頭のイノシシによって救われたとの伝説があり、境内にあるのは狛犬ではなく狛イノシシです。
イノシシ神社と呼ばれ、親しまれています。
その年にお世話になった人に贈り物をすることを歳暮の礼といい、
略してお歳暮と言うようです。
かつては、東日本では塩鮭、西日本では塩鰤を贈っており、
これらは「年取り魚」と言って、
大晦日に家族そろって食べる習わしがありました。
年越しに必要なものであり、
塩漬けにされていることで保存もきく贈り物です。
箸の先はあまり汚さないこと
「箸先五分(約1.5cm)、長くて一寸(約3cm)」
これは、箸先の汚れは長くても3cmまでにしましょう、という意味
割り箸を割るときは、箸を横に持ち、
真ん中から上下に引いて割ること
とげは指でとりましょう。
箸の作法を改めてみるといろいろあります。
「紅葉」を「もみじ」と読む理由
紅葉には、
赤く色づくものと、黄色に色づくものがあります。
赤くなるのは、葉に残った糖分から赤い色素がつくられるから
黄色になるのは、葉の葉緑素が分解されて黄色の色素が残るから
紅葉をまとめて「もみじ」と呼ぶのは、
カエデの色が特に素晴らしいため、
カエデの別名であるもみじが使われた説があります。
紅葉の色は昼と夜の寒暖差によって違うとのことです。
1914年に門司駅として開業、
1942年に門司港駅と改称され、
1988年には鉄道駅舎として初めて国の重要文化財に指定されました。
2019年には6年にも及ぶ復元工事を終え、
大正時代の姿に復元されています。
別名:勝山城、指月城
特徴:天守閣・・・「唐造りの天守」といわれる
小倉城は、戦国末期(1569年)、
中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まります。
その後、高橋鑑種や毛利勝信が居城しました。
関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側についた細川忠興が、
豊前国に加増転封となり、1602年から約7年の歳月かけて築城しました。
忠興は、諸国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実施し、
外国貿易も盛んに行ったため、城下町は繁栄しました。
細川氏が肥後国熊本藩になった後、1632年から譜代大名の小笠原忠真が入城、
以後幕末まで続きました。
1837年に失火のため天守閣が焼失し、
残る城郭も1866年、
長州藩の反撃を受けた小倉藩が自ら城に火を放ち焼失しました。
11月下旬になり、街の中がイルミネーションで飾られています
立ち止まって写真を撮る人
長い時間見ている人
綺麗だな、と思えることが幸せだと感じるこの頃です
皆の心に幸せな光が灯りますように
寒い日のホッと一息
こんな絵を見たらつい笑顔になってしまう
ちょっとしたプラスが心の癒しになるのですね